キネシと暮らしの記録

筋肉の反応で潜在意識の声を可視化する「キネシオロジー」を実践しています

大好きなことは何ですか?

年末に買って、本棚で温めておいた本、漫画家よしながふみさんのインタビュー本「仕事でも、仕事じゃなくても」をこの週末に読んでいます。

 

よしながふみさんの「きのう何食べた?」が私は好きで、何気ない日常生活のあたたかくて、時々クスッと笑える物語を描く方ってどんな方なんだろうと思っていました。

きのう何食べた?」は食への愛が一貫して感じられる作品なので、お料理をされる方であるのは間違いないと思っていましたが、インタビューの中で、当時読んでいた作品について、食べる場面が美味しそうだとそれだけで楽しくなってしまったと語られていたので、ああ、やっぱりそうなんですね、と思いました。

 

でも、何よりも、自身の大好きなこと、思わず熱がこもってしまうこと、そのようなことを大事に壊さないように抱えてこられて、よしむらふみさんの今があるんだなと、改めて思いました。ご両親もよしむらふみさんのやろうとすることを、先入観などで頭ごなしに否定するような方ではなかったようです。

 

小学生の頃の自分だったら「好きなことを大事にするって当たり前じゃない?」と言いそうですが。

キネシオロジーのセッションで過去のことを振り返ると、好きで始めたのに続けられなかったものがたくさん思い出されます。私の持っていた信念体系の代表例は次のようなもの。

・〜は良くないという思い込み。正しい・間違いの二元論。

 →砂糖は体に良くない、や、動物性油脂は体に良くない、という思い込みを持つようになり、趣味でお菓子を作るのが楽しかったのに、喜びが感じられなくなり、作らなくなる。

・他人の方が自分より上手くできる。自分は不十分

 →お料理の習い事で自分の作るものにダメ出しをして、段々と習い事が辛くなる。

・あがり症、パニック症

 →音楽の習い事で、発表の場で頭が真っ白になり、途中でミスしてしまうことが続き、段々と習い事が辛くなる。

・すぐに結果を求める。過程を楽しめない。

 →自分の下手さに、段々と習い事が辛くなる。

 

今、書いてみて、一部のキーワードにちょっと辛い気持ちになったので、まだ手放しきれていないものがありそうです…。

好きで習い始めたはずなのに、好きという気持ち以外で、続けられなくなったものがたくさんあったなあと思います。

無敵な感覚の子ども時代から、家庭、学校、習い事などの経験を積んでいく中で、上にあるような信念体系が形作られて、元々あった遺伝情報も活性化して、好きなことを一点の曇りもない気持ちで好きと言えなくなっていました。

 

今、私は趣味だったお菓子作りを再開し、週末ごとに何かを焼いたりしています。お菓子作りの本を眺めているだけでも幸せな気持ちになれる。

 

好きなことを好きと言えるのは、人にとってとても大事なことだと、よしむらふみさんの本からそんな感想に至りました。

よしむらふみ「仕事でも、仕事じゃなくても」