キネシと暮らしの記録

筋肉の反応で潜在意識の声を可視化する「キネシオロジー」を実践しています

恐れを拒む必要はない

 

初めてキネシオロジーを学んだ時に、師匠ののりこさんが「どんどん人に対して実践していってください」と言われましたが、その時の私は、「とても人へのセッションなんて無理」と思っていました。言い訳的に「もっと理解できるようになれば、始められるはず」と思っていました。

「卵が先か鶏が先か」に陥っているのは薄々理解していましたが、怖くて一方が踏み出せなかったんです。でも、恐れは本当にたくさんのものがあるので、恐れを完全に手放すことを目指していたら、死ぬ間際になってしまうかもしれません😅

 

今年に入ってからはCREDOさんのクラスで学び、ようやく、キネシオロジーセッションを人にやらせていただきたいという気持ちが恐れを上回るようになってきました。

 

恩師のErinから、「恐れ」を拒む必要はない、昔からの友達として、それと同時に「信頼」と「安心感」を共存させていく選択を私たちはできる、ということを教えてもらいました。

「同時に選択する」という概念が当時の私にはなかったので、夜中1時過ぎの頭が朦朧としていた時間帯にもかかわらず、Erinの言葉が福音の鐘のように自分の中にゴーンと鳴り響いたことを思い出します。

 

「信頼」と「安心感」を、それが例え小さな粒のようでも自分の中に植えてあげて、それに水をあげながら少しずつ育てていく。

 時には恐れに圧倒されそうになる大雨の日もあるかもしれないけれ、暖かな日差しが降り注ぐ日もある。

 それらの日々の中で、小さな粒だった「信頼」と「安心感」がいつの間にか、大きくなっている。そうしたプロセスを、自分で自分を励ましながら続けていけばいいんだなと思えるようになりました。

 

 そして、昨晩の自己ヒーリングで、今抱えているものを手放すというより、それを持っていることを認めた上で、さらに一回り大きい意識に向かっていく、というイメージがやってきました。

 「恐れ」があるからこそ、自分に足りないものを得ようと必死に学ぼうする動機にもなっていて、「古くからの友達」は案外とありがたい側面もあるのかもしれません。「古くからの友達」を認めた上で、「信頼」と「安心感」を育てることで、一つ大きな意識に移行して、それが成長と捉えられるかもしれない、そんなことを思った昨晩のことでした。