キネシと暮らしの記録

筋肉の反応で潜在意識の声を可視化する「キネシオロジー」を実践しています

物語を作るのは誰か

先日、CREDOさんの次元上昇ワークスの2回目を平日の夜にオンラインで受けてから、自分の出来事への意味づけをちょくちょく考えるようになりました。

 

CREDOさんがブログでも紹介されていましたが、「自分という人間にどんな世界を作らせるか?」という視点が大事というものでした。

 

物事を何でも自分ごと化すると、力が湧いてくるよ、ということは以前に学んだことがあり、受け身で捉えているなと気付いた時は、意識的に「Aさんに○○されている」→「私はAさんに○○をさせている」と捉え方を変えることはやってみたりしていましたが、講座を受けるまでは、このような大きな視点は持っていなかったです。

 

最近は変わった出来事もなく、昔の出来事を捉え直してみようと思っていたところ、昨日、日曜日に昔、習っていた弦楽演奏の会があり、参加した際に、久しぶりにネガティブな気持ちに傾くようなことがあり、講座で習った意味付けやってみようと思いました。

 

私は小さい頃から、ハートを開くのが苦手で、人見知りしがちでしたが、この数年はハートを開くことを意識していることもあり、心をガチっと閉ざしているな〜と思うような状況はあまりなかったんです。

でも、日曜日の時は、学年の近い友人達だけでなく、学年が離れていて、顔もぼんやり知っているか、知っていないかというような人も少なからずいて、同じ空間にいながら、私はガチっと心を閉ざしてしまっていました。

『相手は私を知らない。私も相手を知らない。だから会話はできない』そんなことを感じていました。

私は当日は演奏を聴く側で、彼女等の演奏は聴いており、その演奏はどれも素敵なものでしたので、今、思えば、そうした感想を伝えることはできたはずなのですが、その時はそんなことを微塵も考えられなかったんです。

帰りの電車で、はっと我に帰り、あ〜この感覚は昔の私の感覚だったなと思い出しました。

 

振り返り

  • 昔の自分はプライドが高くて劣等感の塊で、知らない人と話すのが怖かった。自分の弱さが知られてしまうのが怖かった。
  • この数年は、初めて会う人がいる集まりに行く時は、心を開くことをイメージして参加していて、そうするとイメージ通りになることばかりだった。
  • 自分が心を開くと、相手も心を開いてくれる確率が高くなることがわかった。
  • 昔の感覚を思い出して、心が開いている時と閉ざしている時の違いがわかった。

意味付けをすると、次のようなことになるかなと考えました。

  • 心を開いている時と心を閉ざしている時の違いをはっきりと感じ、無意識に心を閉ざしていた昔の自分に戻るつもりはないことを自分に宣言するきっかけとして起きた出来事だった。ネガティブな感情を通して、自分の意識次第で世界は変わることを心に刻みつけることとなった。

こうしてみると、ネガティブな感情が湧くような出来事も、自分にとっては必要な出来事だったんだなと思えるようになるから不思議です。

自分が主人公の人生を歩んでいくために、大事なワークだなと思いました。