キネシと暮らしの記録

筋肉の反応で潜在意識の声を可視化する「キネシオロジー」を実践しています

My Story③ 潜在意識の声を聴く

こんにちは。キネシオロジーで潜在意識の紐解きをしております ゆっこです。

先日に続いて、どうして私がキネシオロジーをやり始めるようになったのか、聞いていただけると嬉しいです。

前回のMy Story② 身体の声より他人の期待に応えた結果

前々回のMy  Story① いい子、平凡で安全なレール、他人軸

 

仕事で多忙な日々が続く中、再び少しずつ心身の状態が悪化していったある日、上司の一言から、現在の自分の状態に疑問を抱くようになりました。

こんな思いをして働いているけれど、そもそも自分が目指していたことって何だったかな?と。

 

幼い頃は、身につけた知識経験なりで社会と繋がって生きている白髪のおばあちゃんになりたいという思いがありました。(どうしてそう思ったのか、自分でもわかりませんが、当時、そのイメージ像が確かに浮かんでいたんです。)

心身の状態の悪化で立ち止まったことで、幼い頃の夢を再び思い出し、現在とのギャップを埋めるべく、自分を知るためのコーチングセッションを半年間受けることにしました。

 

コーチからは、毎回、自分の思考を深めるような質問をしてもらい、少しずつ自分の全体像が見えてきました。自分の中から「〜するべき!」という思考がたくさん出てきた時にはびっくりしました。自分の願いも言語化することができましたし、何より、自分の心の内側を見つめる時間の豊かさを知りました。人からセッションを受けることのリミットが外れたのも、このコーチングセッションの経験が大きかったです。

 

コーチングで得られたものに満足した一方で、その後も、忙しい働き方は続き、まだ変えられない行動、現実がありました。こうした現状を変えるにはどうしたらいいだろうと考えていたとき、もっと潜在意識の声を聴く必要があるのではないかと思い始めました。そうして、身体の筋肉反射のテストを使って潜在意識へアプローチするキネシオロジーの存在を知りました。

潜在意識と顕在意識の関係はよく氷山のモデルで説明されますが、水面に浮かぶ顕在意識に比べて圧倒的に水面下の潜在意識は大きく、私たちが普段行っている行動は、意識していない潜在意識が大きく影響しているとされています。

自分の潜在意識の中に、現実を変えられない要因があるのかもしれない。多次元キネシオロジーのセッションをお願いすることにしました。

 

セッションを受け始めて、あれれ〜と思うほど、自分を苦しくしている、楽に生きることを妨げている思考がたくさん上がってきました。

それらの思考の中には、確かに私は持っていると思うものもあれば、その思考のどこが問題なの?と思うようなものも。

社会の中で生きていくために親が良かれと思って教育してくれたもの、例えば、人に迷惑をかけてはいけない、いつも一生懸命頑張る、人生は甘くない、わがまま(エゴ)を言わない…などなど。こうした思考が想像以上に自分を縛っていることに徐々に気がついていきました。

「わがままを言わない」という思考も、組織で働く以上、当然だと思っていましたが、何がなんでも自分の意見を押し通すのは問題としても、自分の心の声を無視して抑圧してしまうのも問題なんですよね。私はこの抑圧が大きくて、自分の感じていることもわからなくなっていってしまっていた状態でした。

 

セッションを継続的に受けていくにつれて、少しずつ行動、現実が変わってきました。仕事も家族との関係も。

思考の手放しを決めると、その思考のもとで繰り返してきたこと全てが「もう要らんやつだ」と思うようになるので、行動が否応なしに変わっていきます。これが現実を変える大きな要因になるのだと思います。

時々揺り戻しのような出来事が起きますが、自分がどういう感情を抱いたのか丁寧に見て、不要な思考を手放していくと、また現実が変わっていく。感情が揺れる時は毎回、辛い気持ちになりますが、感情は自分が不要な思考を持っていますよ〜という優秀なお知らせ機能なんだなとも思います。

働きやすくなりましたし、夫との関係も、よりフラットに、言いたいことを遠慮なく言えるように変わりました。

 

心の奥、潜在意識にどんな思考を持っているのかに気づく

そして、その思考が自分の現実にどう影響を与えてきたのかに気づく

その思考がこれからの自分にはフィットしないので、手放そうと心の底から思う

このプロセスが現実を大きく変えていくんだとキネシオロジーのセッションを通して理解していきました。

 

こうして、キネシオロジーセッションで潜在意識を読み解く面白さにあっという間に夢中になり、多次元キネシオロジーやアーキシンクメソッドのクラスを受講して今に至ります。

 

長文を読んでいただき、どうもありがとうございました。