キネシと暮らしの記録

筋肉の反応で潜在意識の声を可視化する「キネシオロジー」を実践しています

切なくて愛おしい思い出たち

今日は2023年の仕事始めでした。

久しぶりに職場の皆さんと会い、午前中はそろりそろりと勘を取り戻すようにして、午後はいつもの感じがすっかり戻ってきて1日が終わりました。

 

家に帰ると、今日届いた年賀状の束の中に、北海道の叔母からの絵葉書が混ざっていました。

喪中葉書をもらっていたので、年賀状の代わりにクリスマスカードを送っていたのですが、それに対する返信でした。

 

もう20年くらい前になるのですが、当時、20代だった私は友人たちと毎年のように旅行に行っていて、ある時、祖母や叔母たちのいる北海道に遊びにいく計画を立てて、家にも泊めてもらったことがありました。

 

受け入れしてくれた叔母は大変だったと思うので本当に感謝しています。私たちにとって、親戚たちの温かいもてなしや夏の北海道のカラッとした気候、豊かな自然の風景とともに最高に楽しい旅になりました。

当時、叔母は1歳くらいになるゴールデンレトリバーを飼っていたのですが、その子がたくさんのお客さんが遊びに来たことに本当に素直に喜んで、2日目の朝、私たちの寝起きしていた部屋に上がってきた途端に、嬉しさのあまりにお漏らしをしてしまって大騒ぎになりましたが、忘れられない思い出です。その子は大きな毛むくじゃらの愛そのものの存在でした。

 

クリスマスカードにはそれらの思い出を書いて送りました。叔母からの絵葉書には、すっかり忘れていたけれど、今は亡き母や姉を思い出し、懐かしく、でも少し寂しい気持ちにもなったこと等が綴られていました。

 

過去を思い出すときに、今はいない人や犬を思い、どうしようもなく切ない気持ちになることがあるので、叔母の気持ちが痛いほどわかりました。

 

同時に、楽しかった思い出はやっぱり輝いていて、紛れもなく、そのことが今の自分に力を与えてくれていたりする。

楽しかったからこそ、愛おしい時間だったからこそ、その分、切なくなるのかもしれません。

 

歳を重ねるごとに、こうした思いをさらに重ねていくんだろうな…と少ししんみりしました。